LOG IN

星の冠をあなたへ 第1回

by 古蝶 茉莉花

私が仕事から家に帰ると、どこから現れたのか一匹の真っ黒いライオンがいた。

ライオンは戸惑う私を余所にある依頼をする。それは──

私の目の前に 一匹の真っ黒いライオンがいる

 毎日の雨、じめじめと不快な空気が私を余計に疲れさせる。

 雨が終われば、次はこれでもかと降り注ぐけたたましい太陽の光の季節がやってくる。

「気が休まらないわね」

 私は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながらエレベーターに乗り込んだ。

 スーパーでの買い物を済ませ、マンションに着いた時には夜の十時半を回っていた。

 残業と休日出勤のおかげで私の日々は、会社と職場の往復で埋め尽くされたいた。

 仕事があるのはありがたいことだけど、これがまだ続くのかと思うと、より一層と気が重くなる。

 それでも。手当が付くのはマトモな会社の証拠だと自分を慰め、雨にも負けず劣らずな鬱蒼とする日々を過ごしていた。

 社会人とはそういうものなのだろう。

 こうした日々がずっと連なっていき いつか静かに幕が降りる そう思っていた。

いつか 静かに

だけれどどうも、私の幕はそもそも上がりきってすらいなかったようで。

日々を打ち破りにソレは来た。

 玄関をくぐり控えめなキッチン付きの短い廊下を歩き、部屋の明かりを点けた。

 ひゅっ と息を飲む。緊張で買い物袋を持つ手に力が入る。

 狭い単身者向けの私の部屋は、入って左手にロフトベッド、右手に冷蔵庫、棚に机。

 所狭しと家具が並び、私の日々のスペースはロフトベットと机の間、畳一畳分の場所だけだ。その場所に真っ黒いライオンが寝そべっている。

 毛並みはとても艶やかで、蛍光灯の明かりにより天使の輪が幾重にも広がっていた。

 たてがみはライオンの顔が小さく見えるほど立派なものだ。

 美しい 恐ろしい 二つの気持ちが交錯する。

 黒いライオンは突然の光に眩しそうに顔を静かに振った。

 机の上に置いていたビーズのドレスを着た人形がその振動で、机の半分以上を埋めている収納しきれていないビーズ資材に倒れた。

 少ししてから目が慣れてきたのか、ライオンは気だるそうに頭を持ち上げ、私をじっと見てきた。

 怖い 美しさよりも恐怖の色が胸に広がる。

 めまいがする 喉の奥が乾く 心臓の鼓動が早い 耳元で鳴っているみたいにうるさい あの瞳が 私を 品定め している 気がする

 どこから?

 どうやって?

 どうして?

 虫ならいざ知らず

 こんな大きな獣が 一体どうやって?

 玄関は鍵が閉まっていた ここは8階だ 窓からなんて絶対に無理

 じゃあ どこから? もし玄関から丁寧に入ってきたのだとして

 動物園にしかいないはずの猛獣が街中を歩いていたら それだけで大騒ぎだ

 こんなに大きな猛獣が誰にも見つからずにここに来られるわけがない

 誰かが隠して連れてきた? 何のために? どうして私の所に?

「そろそろ 良いだろうか?」

 突然の低い声に私の思考は止まった。今の声は何処から?

 私は思わずライオンから視線を逸らし振り返った。誰もいない。

「もう充分に見つめ合った。これ以上は穴が開く」

 そう静かに、あまり抑揚をつけずライオンが言った。

 私は開け放していた部屋のドアにもたれ掛かり、そのままズルズルと座り込んでしまった。買い物袋は手から離れ、床に落ち中身が転がった。

「小一時間くらいか?見つめ合っていたのは、黒いライオンがそんなに珍しいかね?」

 目を細め首を傾げながら言葉を紡ぐライオンを、私はただ見ていた。体に力が入らない。

 ライオンはそんな私に構う事なく更に続けた。

「頼みがあって来たのだ」

 そう言うとライオンはスッと立ち上がり座り直した。

「立派な王冠を、私に作って欲しい。もちろん。礼はする」

 ライオンは私を真っ直ぐに見つめ言い終えると。目をつむりゆっくりと頭を下げた。

「………あ…わた……わたし………は…………」

 何か答えなければ。そう思うものの言葉は、声は、震えて上手く出てこなかった。

 ライオンはそんな私を見て

「…ふむ。疲れているところに押しかけて申し訳なかった。改めて出直そう」

 違う そうじゃない そういうことじゃない

 的外れなことを言い、ライオンは静かに立ち上がった。

 部屋の電気がまるで光を集めるようにすぼんでいく。

 3秒間程度の暗転。再び電気がついた時、もうライオンはいなかった。

 私は緊張感から解き放たれ、ドアにもたれたまま気を失ってしまった。

 それから日々は過ぎ、じりじりとした日差しが地面を焼き始めた頃。

 私は穏やかな日常にいた。

 終業時刻が四時間も過ぎることは無くなり、休みも週二日に戻った。

 あのライオンは、疲労感で限界だった私が産み出した幻覚だったのだろう。

 うん 疲れとストレスって恐ろしい

 時間に余裕が出来た時の、私の毎夜の日課。

 畳一畳分のスペースに折り畳みテーブルを出し、私は趣味に没頭していた。

 ビーズ細工だ。それぞれは小さくバラバラの粒が、知恵と工夫によって様々な形へと変えていく。ワイヤーやテグス。針と糸で紡がれるその世界に私は何年も前から魅了されていた。

 作業に取り掛かろうと、小さなガラスの粒を針で掬い上げようとした時、それはあの時と同じように起きた。

 部屋の電気が光を集める様にすぼんでいき、3秒間程の暗転、部屋の電気が戻った時。

 彼はいた。テーブルを挟んで私の目の前に。窮屈そうに顔をしかめ、座っていた。

 光の輪を作り波打つたてがみに、目が奪われる。でも、それもつかの間。

「この前の話をしに来たのだが…今日は元気かね?」

 真っ黒な体に相反する様な白い牙、鮮やかな赤が広がる口の中。

 ライオンが口を開く度に見え、私が恐怖心を抱くには充分だった。

 針でビーズを掬い上げようとしたままの状態で、私はまたもライオンから視線を逸らすことができなかった。

 この前よりも距離が近い。目の前で見るライオンは恐ろしく大きかった。

 あまりの大きさに私は見上げていた。私の身長は女性の平均ぐらい。このライオンはそれを遥かに上回るらしい。

「私に王冠を作って欲しいのだ。礼はもちろんする」

 この前と同じことをライオンは言った。

 疲れは取れているはず これは私が産み出した幻覚ではないの?

 目の前のライオンが段々と歪み、さっき食べた夕飯がこみ上げて来た。今にも倒れてしまいそうだ。

「どうしたのかね? 不安か? 大丈夫。貴殿の腕前なら作れるさ」

 またも、的外れな言葉で私を気遣う。

 ライオンは窮屈そうにしながらも、顔をゆっくりと私に下げてきた。視線を合わせようとしてくれているらしい。

「まず…あなたは何者なのか。教えて欲しい」

 あんなに気分が悪かったのに あんなに恐れていたのに

 口から絞り出た言葉は自分でも意外なものだった。

──私は・・・この美しい毛並みに心を奪われてしまったのかもしれない。

 私は窮屈そうにしているライオンの為に、テーブルをギリギリまで自分の側に寄せた。

 ライオンは「ありがとう」と小さく呟き少しだけ前に出てきた。

 まだ窮屈そうではあるけれど、さっきよりはマシだろう。

 深く、息をつく。私は向き直り改めて質問をした。

 何者なのか?

 何処からどうやって来たのか?

 何故 王冠がいるのか?

 何故 私を指名したのか?

 たくさんの質問に彼は答えてくれず。ただ一つだけ

「我が名はアルマ。王冠が欲しいのだ。是非作って欲しい」

 よく分からないが、このライオン…アルマはとにかく王冠が必要らしい。

 現在。敵意は無いようだけど、断ったらやはり食べられるのだろうか?

【部屋の一室で美人OL怪死! 体はまるで猛獣に食べられたかのよう…!】

 各種メディアは面白おかしく書き立て、どこからか私の文集が持ち出され

 明らかな被害者なのに実名顔写真付きで報道され、美人じゃないことがバレ…

 …その人生の幕の降ろし方は嫌だわ

「作るので私のこと、食べないでもらえませんか?」

 何だかんだ言っても猛獣なのだ。ここは穏便に話を済ませたい。

 しかし、アルマは意外な反応をした。

「断られても食べない。私は何も食べない 。が、貴殿に作って欲しいので、作ってもらえるまで通い詰める」

 …何このライオン。

 食べられるのは嫌だけど、しつこいのも嫌だ。

 思ってもみなかった言葉に緊張感がゆるみ、私は思わず眉をひそめて彼を見た。

 アルマは気にしていない様子で、更に続けた。

「たくさんの宝石や真珠をあしらい、豪華絢爛なものにして欲しい。」

 気がつけば私は針でビーズの入った容器をコツコツと突いていた。

 このライオンは勝手に現れて 勝手なこと言う

 私は金属を加工したりは出来ないし、宝石や真珠を仕入れたりも出来ない。

 一体どういうつもりで私に頼みに来たのか。

 私がそう言うとアルマは不思議そうに首を傾げた。

「貴殿の所有する資材箱に、沢山の宝石や真珠が入っているではないか。王冠は貴殿の思うように作ってくれたら良い。豪華絢爛なものであれば良い」

 アルマは机の横にある、資材で溢れかえったビーズ棚を顎で指した。

どうして知っているの? 疑問を投げるより先に

「あれは宝石じゃない。ガラスよ。真珠だって本物じゃない」

 依頼人に正しい情報を伝えることを優先した。

 そもそもこの突飛なライオンに「どうして?」なんて。

 今更野暮だと思ったし、なにより彼は答えてはくれないだろう。

「そうか。そうだったか。だが、それでも良い。この依頼、引き受けてくれるかね?」

 確認の体を取りながらも、諦める気の無いライオンだと分かった以上、私の答えは決められている。

 引き受けるまで来るんでしょう? 私が目を伏せ、息を吐き出しながらそう呟くと、アルマは初めて口の端を持ち上げフッと笑った

 部屋の電気が例のごとく消えた。3秒後、彼は跡形も無く消えていた。

 幻では無かった。作るしかないのだろう。

 

 次の日からデザイン画の準備に掛かった。

 王冠といえば…どこの国だったかとてつもなく豪華な王冠を所有している国があったはず。

 私は仕事の合間に携帯からインターネットに入り調べた。

 イギリスだ。大英帝国王冠。聖エドワード王冠。

 どちらの王冠も、外郭は金で出来ており、沢山の宝石があしらわれていた。

 その外郭に包まれた真紅のベルベット生地の帽子が、より装飾を際立たせる。

 それは誰がどう見ても、権威の象徴を感じさせる贅沢さと絢爛さがあった。

 こういう王冠なら、きっと満足するだろう。

 それから毎夜、二つの王冠を参考に紙に色鉛筆を何回も走らせ、何枚もの図案を描いた。が、どれもしっくりとはこなかった。

 そもそも彼は何の王様になるつもりなのか? それが分からない事には、どんなデザインの王冠にしたら良いかが分からない。

「アルマ…」

 唯一、私に教えてくれた彼の名前を口に出してみた。

 誰が付けた名前なんだろうか? この名前に意味はあるのか?

 聞いたところでどうせ彼は何も教えてはくれない。分からないことを考えても仕方がない。

 じゃあ 知っていることは?

真っ黒な美しい毛並み。あの毛並みに似合う王冠をイメージするしかないか。

 どんな王冠でも似合いそうね。

   私はひとり苦笑して、再び紙に向かった。

               続く

写真 イラスト フリー素材サイト「AC」

一部写真 紅鴉丸

OTHER SNAPS