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星の冠をあなたへ 第4回

by 古蝶 茉莉花

アルマの正体はやはり獅子座だった。それでもアルマの秘密主義は相変わらずで、戴冠式の日は結局彼の口からは教えてもらえなかった。

ニュースで当たりを付けた私は深夜に河原へ向かう。

 空気が冷たい。まだ日の出ない時間に私は家を出た。

 土手へ向かう道を一定間隔で立っている街灯が照らす。

 車も、人もいない、静かな時間。私はゆっくり歩いた。

 土手の階段を登り、光の無い河川敷を見下ろす。広がる薄暗い闇、川向こうのビル群が対照的に明るい。

 私は河川敷に続く階段を慎重に降り、舗装された道に立った。目の前に広がる空き地。昼間なら少年少女達が、保護者や監督に見守られ運動に励む場所だ。

 今の時間の空き地に、その喧騒は少しも残ってはいない。とても静かな闇。

 ふいに川向こうのビル群が、視界の左側から右へ流れる闇に呑まれ消えていく。

 彼が来る。これはその合図。

 闇と静寂。それはほんの一瞬だけ。

 闇を裂く一筋の光。静寂を破る足音。

 広い空き地の真ん中に、流れ星の光に照らされ彼は立っていた。

「何でちゃんと言わないかな。今日が戴冠式だって!」

 空いっぱいに駆け巡る星。彼の黒い艶やかな体がその光を反射して、彼自身が光る星のように見えて胸が痛んだ。

「貴殿なら、大丈夫だと思っていたさ」

 アルマは笑った。白い歯を見せ、楽しそうに。

 私は土手の階段側から動くことなく、アルマを遠巻きに見た。

「あなたの正体を知ったからって、この日だと気づくって、どうして言えるのよ?」

「だが、現に貴殿は来てくれた。信じたのさ」

 なんて勝手な。でもそれがアルマらしくて余計に辛い。

「…もう少し、近くに来てくれないか?」

 私の気持ちに気付いたのか、アルマが優しく私に呼びかけた。

 私は思わず空を見上げた。空いっぱいの流れ星が滲んで、白い空に見える。

 私は必死に涙をこらえ、彼のもとへと歩いた。

「容れ物まで作ってくれたのか」

「えぇ。王冠はね、普段はしまっておくのだそうよ。まぁ、本物は金やら宝石やらで重いからね。ずっと被ってはいられないそうよ。だから特別な日だけ、使うんですって」

 声がうわずらないように慎重に話す。アルマは私の手元を見つめ満足そうに微笑んでいる。

 王冠を収めた箱をゆっくりと地面に降ろし、私は彼に向き直った。

「さぁ…始めるとしよう」

 アルマは座ると背筋を伸ばして目をつむり、ゆっくりと私に頭を下げた。

 私は風に波打つたてがみを、王冠がのせやすいようにそっと平らに撫でつけた。

 たてがみがしっかりと平らになったところで、私はしゃがみこみ王冠の箱と向き合った。

 箱は上半分が観音開きに開くように設計し、持ち運びがしやすいように一応取っ手もつけた。一応というのは、人間は持ちやすいけどライオン的にどうか分からないから。口で咥えれば持てなくはないと思うけど。

 箱から王冠を取り出し、改めてアルマの方を向いた。

 彼は微動だにせず、静かに待っていた。

 とうとう、この日が来た。

 一人と一匹の戴冠式。私たちの最後。

    私はゆっくりと、そのたてがみの上に王冠を降ろした。

 アルマは静かに顔を持ち上げ、目を開き私を真っ直ぐに見据えた。

 その瞳はあの時と同じ、金色に輝いていた。

 そう思った瞬間、空を駆け巡っていた星たちが一点に集まりだした。

 集まった光は、空を覆い尽くしてしまいそうな程の巨大な丸い月になった。

 呆気に取られていると、今度は体が宙に浮かんだ。

 川も空き地も揺れる草はらも、その全てが消え私とアルマは浮かんでいた。

 わけが分からず、私は必死にアルマに手を伸ばした。アルマも私に前足を伸ばす。

 近かったはずのお互いの距離は、宙に浮かんだ際に少し離れたらしく、私の手はアルマには届かなかった。

 私は差し出された彼の前足を掴みたくて、足を後ろへ投げ出し、両腕を必死に伸ばした。それでも届かない。

 お互いの手が触れるか、触れないか。そのぎりぎりとのころで体は止まった。

 繋ぐことの出来ないお互いの手を中心に、向かい合ったまま螺旋を描くように私たちはゆっくりと回り始めた。

 それはまるで二つの天体のように。

 ゆっくりゆっくりと回るうちに、届かない前足にもがくことも忘れ、私はアルマに見惚れていた。

 月明かりに照らされたアルマは美しかった。

 アルマの体の輪郭は金色に輝き、私を見つめる瞳も光で金色を一層と称えていた。

 その堂々たる風格に、再び涙が込み上げた。

「何故、そんな顔をする?」

「だって…」

 視界はどんどん歪み、金色に輝くアルマと月の境が曖昧になっていく。私は涙をこらえるのに必死で言葉を続けることが出来なかった。

 不意に手に暖かいものが触れた。歪んだ視界ではっきりとは見えなかったが、それはアルマの前足だった。

 瞬きで涙が流れ、私の視界ははっきりと私の伸ばした手を包むアルマの前足を捉えた。

 その間も旋回はずっと続いていた。

 回ることで私の涙は横に流れ、細かく細かく砕けて宙を漂い始めた。

「貴殿の涙はまるで、あのガラスの粒のようだな」

 アルマが優しく微笑む。その笑顔でますます私の涙は止まらなかった。

 私の手を優しく包むアルマの前足を、ぎゅっと自分の手で包み返した。

とめどない涙は横に流れ続け、砕けていく。ゆっくりと回る私たちの周りに漂う粒子のような涙は月の光で輝き、天体(わたしたち)を囲む土星の輪のようだった。

「…私の役目は終わってしまったわ」

 もう会えない 数ヶ月の間、数回しか会っていないのに、それがとても寂しく思えた。

「私たちの別れは、終わりでは無いよ」

 その意外な言葉に、私は顔を上げた。アルマが私に優しく微笑む。

「アルマ。私たちは、また会える?」

「そう望むことが大事なのだ。何事もな。終わりだと思えば、本当に終わってしまう」

 そこで区切り、アルマは大きく息を吸い込み、ゆっくりと続けた。

「私もまた、貴殿に会いたい」

 アルマの言葉に反応する様に月は眩しく光ったかと思うと、すぼめるように暗くなり粉々に四散した。

 粉々になった月の欠片やその粉が辺り一面に広がり、新たな星になる。私たちを照らす光になる。

 どこまでも、どこまでも。視界の隅々まで月だった星たちは広がっていき、それはもはや一つの宇宙だった。

 私とアルマは相変わらず回っていた。でも、その速度は次第に遅くなり止まっているのでは? と勘違いするほどになった。

「向こうに見える、白く光る少し大きな星がデネボラだ。獅子座の尻尾だ」

 驚きのあまり声を出せない私に、アルマは急に星の説明を始めた。

 獅子座の尻尾から始まり、体を作る星々、後ろ足、前足。

「向こうで、私たちのように軌道を描(えが)き巡る二つの星がアルギエバだ」

 お互いを引き合い、回るその星はまるで恋人のようだった。

「アルギエバから鎌を描く様に続く三つの星が、獅子座の頭部分だ」

 獅子座は浮かぶ私たちの真下で展開していたので、少しわかりにくかったが他の星々よりも明るく輝いていたので、違和感にすぐに気付いた。

「アルマ。獅子座の前足の始まり部分の星が無いんじゃない?」

 指で線を描く様に星をたどる。すると、どうしても獅子座の体を作る星が足りないのだ。本来あるべきはずの場所は不自然な程に星も、チリさえも無かった。

「大丈夫」

 アルマの言葉とともに私たちは回りながらゆっくりと下降を始めた。

 真下に見えていた獅子座の星たちと同じぐらいの目線になる。あるべき場所に収まるのは私たちだったのだ。

「一等星のレグルスだ」

 アルマが意を決したように、私の目を真っ直ぐに見据えて続けた。

「私の、本当の名だ」

 もう、私はなにも驚かなかった。なんとなく、そんな気がしていたのだ。彼は正体を知られたくなかったのだから。情報社会の現代で、本名を名乗るのは得策では無いと考えたのだろう。

 アルマは―いや、レグルスはゆっくりと語り始めた。

「アルマは【アル・マリキ】はるか昔のアラビア語の名から持ってきたのだ」

   アルマは──いや、レグルスはゆっくりと語り始めた。

「さらに古く、ギリシャでは【バシリスコス】または【バシリコス】とも呼ばれた。永い時の中で何度も名とその意味は変わったが、私を伝える物語はほとんど変わらなかった。」

 レグルスは静かに首を振り苦々しく笑った。

「私は確かに、人々を苦しめた。罰せられるべきなのだろう」

 俯き、深いため息と永い間。

 次の言葉が発せられたのは私たちの旋回が一周終わった時だった。

「生きたかったのだ。私も。無意味に襲っていたわけでは無い」

 私の調べでも、神話上での獅子は常に《悪役》だった。いつかの夢で言っていた「分かり合えない」とは、こういうことだったのか。

 一方的に決めつけられた彼は悔しかったのかもしれない。

「だが、もう良いのだ。星座となった今、何者も傷つける必要は無い」

レグルスは優しく微笑むと静かに私を見つめた。

もう全てを話したらしい彼に、私は疑問をぶつけた。

「王冠は、どうして急に必要になったの?」

レグルス という名は、最近決まった名では無い。かつての天文学者ニコラウス・コペルニクスがそう決めたらしい。随分と昔の話なのだ。

「思いつきだ」

「…は?」

その潔い簡潔的な返事に私は唖然とした。顎を落としかけている私をよそに、彼はさらに続けた。

「王の意味を持つ名を頂いてからの四、五百年。ずっと作ってくれる者を探していたのだ」

「あ、なるほど。ずっと探していたのね。最近思いついたわけじゃないのね」

 私はその答えに少しだけ安心した。特に深い意味もなく最近になって突拍子もなく思いつき、人の家に押しかけてきたのかと思ったからだ。

「それで…何で私に依頼を?」

 レグルスは押し黙り、私を見つめた。私はまた得意の秘密主義だと思い、軽く息をつき肩を小さくすくめてみせた。作者にそれを知る権利ぐらいは、ありそうなものだけど。

 少し待ってみたが、レグルスは黙ったまま私を見つめ続けていた。依頼人が言いたがらないなら仕方がない。そう、諦めた時。彼の口がゆっくりと開いた。

「地上から見る星は、明るさは違えど、どれも輝いて見えるだろう?」

 思いもしなかった変化球に、私は戸惑った。

「空からも同じなのだよ。魂を持つ者は、皆それぞれにその大きさや色、明るさが違えども輝いているのだ。それはまるで、星のように」

 レグルスは嬉しそうに、周りの星々を見回しながら話続けた。

「何かを力の限りに生み出そうと購う者の魂は、皆等しく強く輝いているのだよ。貴殿もそうだ。

私はこの四、五百年の間、何人にも声をかけ…恐れられ、疎まれ。大変だったよ。」

 色々と思い出したらしく、レグルスは目を細め遠くを見た。

「だからな、少々気合いを入れたのだ」

 レグルスは悪戯っぽく笑ったかと思うと、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

「永い永い間、探し続けてな。少し疲れてしまって、今度こそは何としてでもと思い、意地になってしまった」

 通い詰める― 私に頼みに来た時のことを思い出し、思わず苦笑した。

 そして気づいた。彼が頑なに自分のことを話したがらなかった訳を。私を信用しきれなかったんじゃない。きっと実際に断られたこともあったのだろう。

「貴殿は、逃げずにいてくれた」

「現代に生きる私には…神話は神話でしか無いの。それに…」

 真っ直ぐに見つめた、彼の黄金の瞳には私が映っていた。

「私には、レグルスは神話のような恐ろしい獅子には、やっぱり見えないよ」

「ありがとう」

 レグルスはにっこりと笑った。それは今まで見た中で一番の、大輪のひまわりが咲いたような笑顔だった。

 その瞬間、私たちの回転は止まった。視界いっぱいに広がっていた星々は一箇所に集まり、再び巨大な月になった。

「レグルス、またね」

「あぁ。元気でな」

 私たちは重ねた手を離し、そっと離れた。

 少しずつ、少しずつ。私の体はレグルスから離れ、下にゆっくりと落ちていく。

 レグルスから遠ざかる。

 巨大な月を後ろに、堂々と立つ獅子の王を私はこの目に焼き付けた。

―魂を持つ者は、皆等しく星のように輝いている

それならきっと 私の魂はいつか 幕を降ろした時に あなたを探して側に行く

私が作った王冠を目印に

あなたの隣で輝く星になる

「私たちの別れは終わりでは無い。そうよね。レグルス」

黄金に輝く月は十円玉サイズになり、レグルスはその光でもうほとんど見えなくなっていた。

               続く

写真 イラスト フリー素材「AC」

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